きっと、うまくいく~非IT業界をスクラムで変えるための系譜~

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五感のフォーカスを外し、ミュートを解放する ~ファシリテーション塾実践コース 第2回~

4/6はファシリ塾の第2回に参加してきました。

前回の合宿を経て1ヵ月。 わずか1ヵ月ですが、とても長く感じました。

 ※ 合宿の様子はこちら passionate-po.hatenablog.com

今回のテーマは「委ね、受け取る

ファシリテーションというと「引っ張る、巻き込む」というイメージが強いかもしれません。 一方でそんな押し付けの場ではなく、参加者の承認欲求や学びを満たす意味でもとても重要な視点だなと私は感じました。

アイスブレイクと導入

 まずはアイスブレイクで「システムゲーム」というワーク。 詳しくは書きませんが、全員が全員に影響をしているということを実感できるワークでした。

特に人数が多い組織、階層が深い組織だと「社長のビジョンが一般課員まで届かない」「俺は関係ないとなりがち」と行った課題がどこでもあると思います。 このワークを例えば500人で大きな体育館でやるのもなかなか感動的な展開が待っていそうな可能性を感じました。

 そしてチェックイン。 チェックインとは今の気持ちを一言二言で共有するというものですが、この日は「入口(今)の気持ちと出口(解散時)の気持ちはどうなっていたいか」というものでした。

ここで印象的だったのが

実は気持ちは作れる。コントロールできる

というものでした。 これがこの1日の伏線になるのですが、よく感情のままに怒ったり、泣いたり、笑ったりと感情に振り回される様をよく見ますし、頭に血が上るという経験もあります。 そのため、感情はコントロール不可なものと感じてしまいますし、私もそう思っていました。

ただ、宣言したり、アウトプットしてみることで感情がコントロールできるとのこと。 ある意味で"ありたい自分をイメージした自己暗示"なのかもしれません。

確かに感情が湧き出る理由は「こうでなくてはならない!なぜこうならないのか!」という何か決まった型にハマらないパターンが出てきた時の一種のアラートでありエラーメッセージだとすると、その型を取っ払ってしまったり、再定義してしまえば、いいのかもしれないという実感がありました。

現に、スポーツ選手は自分の良い時イメージを膨らませて、望む言わば自己暗示をしている人が大変多いと思います。 同じように私たちも自己暗示することでありたい自分に近づけるのかもしれません。

ありのままとは何か

さて、今回の「委ね、受け取る」というテーマ。  委ねる、受け取る対象は何か。それは「自然体でありのままを受け取る」という視点が今回の具体的な内容でした。

そこで紹介された言葉が2つ。

  • 一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)
  • 春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷しかりけり

これは仏教用語ではあるものの私なりに受け取ったのは「生きとし生けるものの自然体とはどういうものか」という問いでした。

よく、「自然体になりましょう」という言葉があります。 ただ、それは"深呼吸をして落ち着きましょう"の言い換えでしかないことが多いのかなと感じていますし、この時点の私はまだあまりピンときていなかったのも事実です。

そして、これがファシリテーションとどう関わるのか。 これはかなり高次元の話だと思いますが、場を読み、場を感じるためにはファシリテーター自身が感じれること。いわゆる感度を上げておくためにも必要なのだと思っています。

ホモ・サピエンスはなぜネアンデルタール人に勝てたのか

我々はネアンデルタール人に勝利したことで繁栄したホモ・サピエンスです。 なぜ勝てたのか。ネアンデルタール人にできなくて、ホモ・サピエンスにできることがあったからです。

それは、

  • イメージをすること(妄想、虚構、想像)
  • チームで生きること(ネアンデルタール人は家族までの人数でしか生きられなかった)

だったそうです。

 ※ 参考

hon-bako.com

つまり、我々は上記の2つを有効活用しないと人としての能力を発揮できていないというわけであり、強い言い方をすると人でないということです。

なので、「チームである」ということは理論でどうこういう前に人間であることの証明でもあるのです。

ありのままを生きるために

さて、人類の起源から現代社会に視点を戻してみましょう。

私たちは「ありのままを"生きる"」というよりも「この時代を"生き抜いている"」という表現が正しいのではないでしょうか?

これは理想と現実の乖離があることが明白で仏教の表現で例えると

  • 生き抜く(自分を守る) = 現実 = 此岸
  • ありのままを生きる = 夢 = 彼岸

つまり、

此岸・・・危険、不安な状態 → β波(コルチゾール、アドレナリン)が分泌 彼岸・・・安心、安全な状態 → α波(オキシトシンドーパミン)が分泌

ということで現実を生き抜くということは「緊張感を持って、気を張って、興奮している状態」。ありのままを生きるということは「落ち着いて、じんわりと味わっている状態」のため、ありのままを生きるということが心地よいのかもしれません。

一方で生き抜くためにはエゴが伴います。エゴとは

  1. 他者を操作する
  2. 他者の承認を得ようとする

というものです。 そのエゴとエゴが興奮している状態で正面からぶつかりあうことで疲れてしまうのかなと思いました。

此岸を知るワーク

では、自分の此岸とはどんなものなのか。 それを知るワークとして「六道の認識」というワークをやりました。

「これは6つの陥りやすい状態を理解、認識することで、自分が陥っている状態を客観視するためのワーク」と私は捕えました。 その6つの状態とは

  1. 地獄・・・
  2. 「出来事や違い」の「問題や欠落や苦しみ」を見に行く。
  3. 物事を防衛的・ネガティブに解釈する
  4. 自分を責め続ける

  5. 餓鬼・・・

  6. 常に「欠乏感や焦燥感」に基づいて行動する。
  7. 「結果や物欲」に、内面や感情が振り回される

  8. 畜生・・・

  9. ルールや常識に逃げ込んで思考停止。「挑戦のない毎日」「被害者の物語」に定住する
  10. オールウインではなく、本能のまま、「弱肉強食」の世界に生息する

  11. 修羅・・・

  12. 「主張、批判、恫喝」で安全を確保する。意のままにならぬ「怒り」に基づいて行動する
  13. 「他責」を基準に、他者との「争いや軋轢」を仕掛け続ける

  14. 人間(じんかん)・・・

  15. 「他者評価」に左右される。「反応」のために生きる。人間関係で悩む
  16. 「老いや病」を苦しみとして、負い目として生きる
  17. 「死や喪失」への恐怖から反応、行動する。

6.天道・・・ * わかったつもりになる。これでいいやと慢心する * 「地位や名誉といった世間評価」や「自分本位の解釈」を指針にする

といったものです。この中のどれに自分が陥りやすいかということを内省するワークでした。

ちなみに私は「止まったら死んでしまう」というマグロなどの回遊魚的な考えがあり、圧倒的に餓鬼かなと思っています。

ここで感じたのが、とはいえ、悪いことだけでは無いなと。餓鬼である自分がある意味心地よく、別に嫌じゃない。もっというとかっこいいと思っている節はあるのかもしれません。なので、それ自体が悪いのではなく、*そういう状態に陥っていることを認識することが大事なことだと感じました。

 また、どれか一つに分類されるというよりもいづれのどれが"パーセンテージとして多いのか"というのが人によって違うのかなと思いました。 そして、それが体験や時期によっても変わるのかなと思いました。

なので、それぞれの違いも大きいものではなく"壁にぶつかった時にどういうアプローチを取るか"という傾向や癖のようなものなのかなと感じました。

五感で感じる。五感で受け取る

次のワークは日常の出来事を五感で受け取る"観照"のワークでした。 これがとても難しいものでした。

  • 解釈しない、考えない。
  • ありのままをただ感じる

というルールのもと、外に出ていろんな刺激を感じるというもの。

例えば、目に入ってきたものを「家が見えた。白い色が見えた」というのも脳で瞬時に「これは家です。これは白という色です」と処理をしている。 すなわち解釈しているということです。これを極力断ち切るというワークです。

それを視覚だけでなく、聴覚、嗅覚、触覚、味覚も使って行うというものでした。

これをやってみると

  • 足の裏、手のひら、肌に何かを感じる
  • 耳に何かが飛び込んでくる

など普段だと素通りしていた数々の情報が飛び込んできました。 これは良い悪いではなく、私たちは日常の中で意識的に"何かにフォーカスして、他の感覚をミュート状態にしている"ということです。

裏を返すとフォーカスしたままだとその側面しか見えておらず、1つの視点でしか物事を捉えられていないのかもしれません。 つまり、必要なタイミングでミュートを解除したり、フォーカスを外すスキルが身につくとファシリテーターとしての洞察力や場を読む力が養われるということだと思います。

そして、「人間の脳は1秒間に4000億ビットの情報が降り注いでいるものの受け取れているのは2000ビットだけ」とのことでした。

 ※ 参考

bijodoku.com

もしかすると、フォーカスをしてしまっている状態はさらにこの2000ビットを自分で減らしてしまっているのではないでしょうか?

内容と感情を傾聴する

最後に傾聴のワークです。  このワークでは1人がエピソードを語り、他の2人は内容、感情に担当を分担しそれぞれにフォーカスして傾聴するというものでした。 傾聴のテクニックを聞いた上でのぞんだのですが、これも学びが深いものでした。

 まず、内容傾聴について。 話す人は考えながら話しているので、脳の中で100%整理できていない状態で話しています。いわばストリーミング状態です。 聞く人は一旦、全てを聞いて、咀嚼しています。つまりまとめて聞いてから脳内で100%整理します。いわば、プログレッシヴダウンロード状態です。

そのため、聞く人からのフィードバックを得て、新たな気づきが生まれると感じました。

 次に感情傾聴。 感情は何よりも話す姿勢にも現れます。例えば、ネガティブな話や自信がないときはうつむき気味だったり、声のトーンが低かったり。 一方で自信があったり、確信がある場合は背筋が伸びて声量も大きく、目線もまっすぐだったり。

これは自分がファシリテーターとして臨む時にも気をつけたほうがいいかなと思いました。 それと同時に見透かされる恐怖を感じました。

これは「共感しているのか?観察しているのか?」という違いのようです。 これは大きな違いで、共感してもらっている状態は、「認めてもらっている」「伝わっている」という安心安全な状態。 観察されている状態は「監視されている」「見透かされている」という意味で恐怖を感じ、距離を取ってしまいます。

ファシリテーターは共感をしても観察をしていることを表に出さないことが大事なのだと思います。

また、感情傾聴には落とし穴があります。 それは相手との心理的距離感です。

「内容を伝えたいのに、そこまで見透かされるのは不快だ」 「お前に何がわかる」

といった感じで相手との心理的距離感に応じてスキルのレベルを変える必要があるというのが実践時のポイントのようです。

感じたこと

 今回は「委ね、受け取る」というテーマでしたが、委ねる対象は相手というよりももっと広い存在、"自然に委ねる"というものだったと思います。 ただ単純なテクニックは色々あると思います。一方で、表層的なテクニックだけでは見透かされてしまったり、そのテクニックが通用しないタイミングでは使い物にならないということになってしまいます。  そのため、自然に身を委ねて、場の状況を感じる、場の空気を受け取ることが必要な要素と感じました。 直近では、自分の中でのミュートを自由に解放できるトレーニングをしていこうと思います。実はちょっとドラゴンボール界王拳の取得に近いワクワク感を感じていますw